2011年03月20日

日はまた昇る。――[367]生誕18,935日

 ようやくエンジンが全開で回り始めたと思ったら、もう既に最終コーナー。そんな状況の今回の芝居にゆとりなんぞあるはずもなく、昨日に引き続き今日も午後1時から9時半までびっちり稽古に精を出す。
 しかし芝居とはつくづく、「人と人とはそうそう簡単にわかり合えないものだよ」、そのことを思い知る作業の連続なのだと思わされる。「普通、人はそんなことはしない」「普通、そんなふうには動かない」とダメだしを言ったそばから、普通って何だ?あなたの普通と私の普通は同じなのか? というジレンマに陥ってしまう。そして、そもそも普通ではない演出家が力説しても説得力はないのだと思い知らされる。(それでも正義は我にありとばかりにフツーではない男は力説しますが)
 
 福島の第一原発にほんの少し明るい兆しが見えてきた(政府が本気で取り組み始めたのは、それだけ実は危険ということかもしれないが)。ただ、計画停電の生活にも多少の順応性が出てきたからか、新宿に出ると、街がいつもの顔を取り戻しつつある。もちろんまだまだ、どこかひっそりとした衣をすっぽりと街全体がまとっている。春、まだ遠し。されど日はまた昇る。
カネゴン活躍.jpg
カネゴンの活躍。11日の地震の際、スピーカーの上から落ちそうになったグラスをカネゴンが倒れながらもその足で際どく守っていた。
posted by 老い日記 at 00:00 | Comment(0) | 日記
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